笑顔が消え、怒ることが増えていった次女。
様子は明らかに変わっていきましたが、
それだけではありませんでした。
この頃から
体にも異変が出始めたのです。
耳がきこえにくい
ある日、次女が
「ママ、耳が変なんだけど」
と言ってきました。
「耳がパコパコする」
「ときどきちゃんと聞こえない感じ」と。
私「トンネルの中に入ったときとか、
山の中に車で行ったときみたいな感じ??」
次女「うん。つばのむと治るけど、最近すごく何回もなって
聞こえにくいし、喋りづらいから喋りたくない」と。
栄養不足だよ。もっと食べないと。
と私が言うとキレだします。
病院へ行こうよと言いましたが、
もうちょっと続いたら行く。
との返事。とても心配でしたが
多分栄養不足からだと私は思ったので、
耳鼻科へ行っても栄養を摂らないと治らないだろうなというのが
なんとなくあったのですぐには耳鼻科に行きませんでした。
ふらつく、何もないところで転ぶ
歩いている時にふらつくことが増え、
何もないところで転ぶことも増えました。
もともと運動神経がいい子であまり転ばないし、
転んでも瞬時に体勢をとって倒れたりはしないような子でしたが、
何もないところでずっこけて体ごと倒れて擦り傷やアザに。
いたいー!と大泣き。
まるで高齢者のような足取り。
「大丈夫?」と聞いても
「大丈夫!!うるさい!!」とキレられる。
見ていて毎日不安で不安で、私も食欲なんてなかったけど
でも私が倒れてはいけないと、私は食欲がなくても
なんでも口にいれてカロリーを摂るように
そこだけは心がけていました。
娘にはとにかく不調を治すには 食べてもらわないと!
その想いで毎日毎食焦燥感でした。
でも、言うと怒って食べない。
周りに言ってもらったりもしましたが、だめでした。
時には見守ったり、言う通りにしたり
褒めたり、押したり引いたりあの手この手を使いました。
お腹がすかないの!
食事も食べる量がかなり少ない状態が続いていました。
以前は、ご飯とけんちん汁が大好きで
3杯もおかわりするような子でした。
大好きだったお汁系なら食べてくれるかなと思い
鶏肉を小さく切ったけんちん汁を作って出したけれど、
小さなお肉さえ「いらない!なんで入れたの!!」と怒り出す始末。
「約3か月前まではこのけんちん汁だってあんなに食べてたよね?
覚えてるよね?なんで食べられなくなっちゃったの?ほんとに心配だよ」
そう聞いても
「お腹が空かないの!」
その言葉だけでした。
病院に行こうと伝えた日
「お腹が空かないならお腹の病気かもしれないよ。
一度病院へ行って見てもらおう。」
そう伝えると、次女は
「それなら、、病院行ってもいいよ」
と、ようやく頷いてくれました。
初めて受け入れてくれた
これまで次女は
「病院に行くくらいなら死ぬ!」
私が病院で診てもらおうよと言うと
「うるさい!あんまり言うともうなにも食べないんだからね!」
と病院へ行くことを強く拒否していました。
だから今回、
受け入れてくれたことが本当にうれしかったです。
でも同時に、
入院になるかもしれない
という不安もありました。
どこの病院へいくか
いざ行こうと思っても、
どこに行けばいいのかわかりませんでした。
前に評判の良いと聞いた個人の心療内科へ電話した時に
そのBMIではうちは無理です。
大きな入院できる病院へ行ってくださいと
電話口で問答無用で断られてから
ほかの病院へ電話することも怖かったです。
摂食障害専門の診療科のある大学病院へ電話相談してみると、
「いきなり来るのは娘さんにとってもハードルが高いと思うので、
まずは個人の病院へ行ってそこから紹介状を書いてもらうといいと思います」
との回答だったので、
ながらく病院へ行っていなかったこともあるし、
摂食障害に詳しい小児科もよくわからないし、
紹介状を書いてくれるような病院もわからず。
とりあえず次女を出産した病院に電話をして
これまでのことを話しました。
病院へ向かう決断
娘が生まれた病院へ電話をすると
「ぜひ来てください」
と言ってもらい、私は
「今から行きます!」
と答えていました。
次の記事
こうしてようやく病院へ向かうことになりました。
この時の私はまだ
これから聞くことになる現実の重さを
わかっていませんでした。
→診察で告げられた現実。
拒食症と診断された日【摂食障害の始まり⑬】

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